フランスで「フィガロの結婚」が大流行しましたが、封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて貴族を痛烈に批判しておりヨーロッパ中で「フィガロの結婚」は上演禁止になりました。
では何故 オペラ「フィガロの結婚」が誕生したのか?
神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお気に入り、台本作家のロレンツォ・ダ・ポンテの存在があったのです。
ロレンツォ・ダ・ポンテ(Lorenzo Da Ponte)は1749年にイタリアのヴェネト州チェネダに生まれました。詩人で台本作家。
ヴェニスで聖職についていましたが、放蕩生活を送っていたためにヴェニスから追放されました。
(ボーマルシェも問題児でしたが、ダ・ポンテも、、、なんですね)
ウィーンに移住したダ・ポンテは台本作家としての能力を評価されてヨーゼフ2世の宮廷詩人としての職を得ました。そしてオペラのイタリア語台本を書き続け、数々のオペラが生まれました。
その中の一つが「フィガロの結婚」です。
他にもモーツァルトとのコンビで生み出したのが、有名な「ドン・ジョヴァンニ」「コズィ・ファン・トゥッテ」です。
ダ・ポンテの人生もドラマチックであったようです。
追々書いてまいります。